なんで人の欠点を指摘するのだろう?
友人のKさんは50代の主婦ですが、先日会ったときこんなことを聞かれました。
「実は私の友だちで、Tさんという人が日舞を習っていてとても上手だなぁと思っているんですが、同じところで習っている、Tさんより遅く始めた知り合いのMさんと会ったときに、そのTさんの話になったので、私が「Tさんは上手よねー」というと、Mさんは「でも、Tさんは少し姿勢が悪いのよね」って言うんです。それを聞いて、なんでMさんはこんなことを言うのだろうとちょっと不愉快になってしまいました。岡本さんならどう思います?」
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そう聞かれて、私はこう答えていました。「私なら、姿勢が悪いというのは具体的にどういう風に悪いんですか?先生はそれを見て注意しないのですか?鏡を見たり、ビデオを見たりして自分の姿勢の悪さに気づくような練習方法はとらないんですか?そんな風に、聞いてみるだけですね。決して、不愉快にはならないと思いますが・・・。」 そう答えると、Kさんは「何で私は不愉快に思うのでしょう?」とまた聞いてきます。 そこで、「私もそうですが、多くの人が知らずにやっていることとして、人を非難することで自分を肯定しようというような意識が働くことがあるように思います。例えば、これはあくまでも想像ですが、MさんがTさんのことをそういうのは、Kさんに「私も一生懸命練習しているのよ。私のことも認めてよ。」と言うことを伝えたいだけかもしれません。そう考えると、不思議と、Mさんの言い方は気にならなくなるような気がします。言葉の表面の意味を捉えるだけではなく、その言葉を発した人の気持ちに寄り添うこともできるかと思うのですが、そのためには、相手の言ったことに寄り添いながら具体的に問いを出していくことが結構大事なことかもしれません。なんでこんなことを言うのだろうと思ったら、そのことを聞いていくと良いのではないでしょうか?」 そんなふうに答えていましたが、答えながら、人を否定することで自分を肯定しようとする生き方のほかにどんな生き方があるだろうかと考えてみました。すると、例えば、「どうせ自分は・・・」と、自分を否定しながらも開き直る生き方もあるなと思いました。また、そのほかには、相手も肯定し、自分も肯定する生き方もあるかもしれないと思いましたが、よく考えてみると、らくだの考え方はまさにそれかもしれないと思いました。自分の問題を自覚しながら、そのことで自分を否定せず、そこから自分を育んでいくことのできる生き方。他者とのコミュニケーションを大事にし(相手を肯定し)、今の自分でもOK、ここから学んでいこう、自分で自分を育んでいこうという生き方。 そんなことが思い浮かび、とっさにKさんに、「自分を認めてもらいたいから相手を非難する生き方もあるし、どうせ自分はこんなものと開き直っていく生き方もあります。でも、もうひとつ、きちんと自分の問題を自覚し、その問題から学びながら、自分で自分を褒めてあげたくなるような生き方もあります。要は、どの生き方を自分がしたいかということだと思いますが・・・。」そう話していました。 と、こんなことが気になるのも、私にもそういうところがあるからかもしれません。なかなか自分のことは解りません。
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