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2007年7月

お母さんを応援することが自分を応援することだった。

 小2のM子ちゃんは、今小2-10のプリント(横式引き算の最後)をやっているのですが、小2-6のプリントあたりで、もって帰った宿題がなかなか家でやれない日が続いていました。「あの、M子ちゃんはどこへ行ったんでしょうねー」と、毎日のように続いていた頃の自分の姿を思い浮かべながらも、なかなかできない自分をもてあましているような感じでした。

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 そのM子ちゃんのお母さんが、先週教室に来たとき、「お父さんと二人で、私たちもプリント何か始めましょうかねぇーと話しているんです。」というので、「どの教科をやりたいですか?本当は算数がいいんですが!」と、聞くと「算数は、ちょっと。とりあえず、漢字をやってみます。」というので、早速教室で1枚やってもらい、宿題も持って帰ることになりました。

 その際、「M子ちゃん、お母さんがプリントができるように応援してあげてね。時間を決めて一緒にやったらいいかもしれないね!」と提案してみました。M子ちゃんは「うん」と言って、教室を後にしたのですが、その1週間後、記録表を見たら、ほとんど毎日やってありました。その上、なかなか合格しなかった、2-6のプリントが合格していました。そして引き続き2-7、2-8とあっという間に合格し、宿題で2-9、2-10を5枚ずつ持って帰りました。

 そして、昨日お母さんから昼間に電話があり、「じつは、M子が、一枚目で2-9を合格してしまい、このままだと2-10も合格して、プリントが足りなくなりそうだから次のプリントをもらいに行きたいというのです。明日教室はやっていますか?」

 私は、「合格しても、同じプリントをやることは決して無駄になりませんから、そうしてみませんか?」と言うと、「私も、そう言ったのですが、次に進みたいからと言うんです。」
 こんなM子ちゃんの様子は初めてです。そこで、「分かりました。明後日なら教室が空いていますから、6時以降なら居ますので、来てください。」と言って電話を切りました。

 今まで、いろいろなやり方を提案し、なかなかできるようにならなかったM子ちゃんですが、ひょんなことから、リセットして始めることができるようになりました。
 親と子の関係の中で、子どもが親を応援することで、自分の課題も一緒に乗り越えていくことがあるのだということを改めて感じました。

 次の週、教室に来たM子ちゃんに、「最近毎日続いているのはどうして?」と聞いてみました。すると、「おかあさんがやろうと言ったとき、すぐにやるようになったから!」
「そうか、前に、お母さんに声かけしてもらうことにしたことがあったけど、そのときは、声かけしてもらっても、後回しにしてやらないことがけっこうあったけど、今回はお母さんがやるときに一緒にやっているんだ?」

 お母さんに記録表を確認することをお願いしたN君が、毎日プリントができるようになったことにしても、このM子ちゃんにしても、ここ最近、積極的なお母さんとの関わり方を提案することで、子どもが自分の壁を乗り越えていくのを目の当たりにする機会が続きましたが、このあたりに、もしかしたら、らくだの指導のポイントが一つ隠されているような気がします。

 親にしても、私たち指導者にしても、ただ、やるように言葉だけで働きかけるだけではなく、子どもがそうしたくてもできないのだということを認めたうえで、どうしたらできるようになるか、具体的な方法を一緒に考えて支援していくことがものすごく大事なことであり、特に、互いの合意の上で具体的な方法を試すこと、ダメならまた次の具体的な方法を試すというふうに、諦めず、根気よく続けることしかないのでしょう。

 特に今回は、子どもは親の具体的な支援を心のどこかで望んでいるのだということを、つくづく感じました。

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目標を持つこと。百回、百日続けること。

 大学生のお子さんのいるお母さんと、お子さんの将来の話になりました。
「うちの子は、取り立てて得意というものを持っているわけではなく、やりたいことがあるわけでもないので、何か目標を持ってもらいたいのだけれど…」と、そのお母さんは言うのですが、私が、今までそのお母さんに聞いてきたお子さんの様子というのは、勉強も一生懸命、サークル活動なども一生懸命、まさに青春を謳歌しているように感じていたので、なぜそう言うのか不思議でした。

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 私が、「何かやりたいことがない、目標がない、でも一生懸命というのはすごくいいですよね。」と言うと、そのお母さんは怪訝な顔をしました。

 そこで私はこんな話をしました。「よく学校の先生は、とくに中学生ぐらいになると、目標を持ってがんばれといいますが、私が自分の息子を見ていて感じたのは、子どもが目標を持つというのはそんなに簡単なことじゃないということでした。

  今の子は、テレビなどでいろいろな情報は入ってくるけれど、何というか、肌で感じられる情報はほとんどないと思いますし、私の息子も高3の夏頃まで、進路についてはいろいろ悩んでいて、とりあえず、理系のコースは選択していましたが、『理系の大学に行ってこれをやりたいというのがないんだよなー』と言っていました。

  地域と学校と家庭だけの狭いエリアの中では、よほど意識していないといろいろな人に会う機会は少ないし、様々な大人の話を聞き自分の将来などをじっくり考える機会などほとんど皆無じゃないですか?だから、私は、そう言う学校の先生がいたら、どうすれば目標を持つことができるんですか?と聞いてみたいものだと思います。

  私は、目標を持つことが大事なのではなく、目標が見つかっても見つからなくても、自分が今直面していることに、今という時間に真っ正面から向き合って頑張っているあなたのお子さんは、なんにでもなれる可能性をすでに手に入れているのだと思います。

  とりあえず今の課題を乗り越えられない子が、目標を仮に持ったとしてもそれが叶う可能性はほとんどないでしょうし、叶ったとしてもそこ止まりでしょうね。そういう意味では、あなたのお子さんはなんにでもなれる無限の可能性を持っていると思いますよ。」

 そんな話をして2,3日後に下野新聞を読んでいたら、船橋情報ビジネス専門学校職員の鳥居徹也さんが書かれている「自立ってなんだ?キャリア教育の現場から」という連載のコラムが目にとまりました。内容は下記の通りです。

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「働く意味なんて、子どもはどうでもいいのでは?」とよく言われます。所得格差が広がったとはいえ、日本は経済大国。本物の貧困は見えにくく、「食べるために働く」では説得力は乏しい。そんな豊かさに慣れた「どうでもいい」子どもだからこそ、働く意味を説く必要があるわけです。

 働くのに、今ほど意志が必要な時代もなかったのではないでしょうか?身分制度があり、家業を継ぐのが当然だった社会では、選択の余地がありませんでした。その点、現代は、何でもできる。可能性がある。しかし、何でもできる状況は何にもできないのと表裏です。何かを選ばなければならず迷いが生じます。

 自分がどう生きたいのか、やりたいことは何か。こうした「自分探し」に明け暮れ、何をすればいいのか分からなくなる若者が多いと聞きます。でもあるとき私の講演を聞いた生徒の一人が、感想文にこんな悩みを書いてくれました。「自分の個性が見えない、夢がないと言う以前に具体的な努力が続かなくて…」

 私はハッとしました。まだまだ未熟な若者が、いきなり個性を見極め、夢を見つけようと力んでも答えなど見つからなくて当然です。遠くを目指すには、まず足元を固めなくては。自分探しの迷路で途方に暮れる子どもたちに、地道な努力を重ねる大切さをうまく伝えられないだろうか。そんな思いで授業に取り入れたのが名付けて「百回、百日ブレークスルー理論」。

 努力はコツコツと続ける必要がありますが、その成果は努力に応じて直線的に上がるわけではなく、当初は低調に進み、ある瞬間を境に急加速するもの。その瞬間を「百回、百日」の表現で象徴したのです。絵なら百枚描く。将棋なら百回指す。刑事なら「現場百回」地道な反復練習の大切さを伝えるのに、百という目安は多用されています。そこには、「成果はすぐに出ない。でも努力は裏切らない」というメッセージが込められているのです。 期末テストでも持久走でもいい。目の前の課題に懸命に取り組み、失敗や失望を乗り越えて得た成功や達成感は、他人からは教われない宝物です。その積み重ねの中で個性や夢が育まれ本当にやりたい仕事が見えてくる。そう私は思っています。

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 これを読んで、私がこのお母さんに話したことと重なると思いました。このお母さんの娘さんは、目の前の課題に懸命に取り組んでいるのです。そんな彼女が、「自分の夢を育んでいく力」をつけていないはずがないと思うのです。

 私が教室で子どもたちに、「まずは一枚のプリントをやること、一日たった五分でもいいから続けることの大切さ」を言い続けるのは、それができないことを責めるのではなく、「それを続けようとする努力が自分を育ててくれる」と、信じているからです。

 6月28日の「たんたんカフェ」で何人かの方が、この鳥井さんのコラムを読んでふと思ったことを書いたのでご紹介します。

●Iさん

  「辞めたい」と半ベソをかいていた一年前…、長男、(小5)は、今では部活(野球)第一の生活を送っています。地区のお祭りも育成会のイベントも「練習があるから…」「試合だから…」と、すべてキャンセル。上手な後輩にポジションを奪われ、最近はあまり試合に出られないのに。「どうせ○○の方が、運動神経がいいから」と悔しいくせに、自主練はせず…。
 コラムの中の「百回百日」は結果を早急に求めすぎる私にも、息子にも耳が痛い言葉です。「努力は裏切らない」ことを、繰り返して伝えていきたいと思いました。

●Yさん

 娘(小3)は保母さんになりたいと思っているみたいです。特に私が(親の姿)子どもに接する姿勢で感じたのではなく、自分が保育園時代を通してそう思っているのだと思います。一生懸命保母さんが子どもに接する姿。子どもたちは年長になると働くこと。朝のぞうきんがけ、ほうき、廊下を掃く、犬の散歩、にわとり小屋とお当番があります。小さいときから身につけていくというのは大事なことと感じます。これは保育園なので、家で、それをどういうふうにしていくかということですね。

●Sさん

 今でも探し続けているような感じ。子どもたちが自分の手を離れてからの自分が不安。

このSさんが、たんたんカフェに参加しての感想を書いてくれましたので、ご紹介します。

 今日はありがとうございました。
子育て中のママが集まると「自分の体験談」をいろいろ聞くことができるので参考になります。子育てをしながら、その苦労におぼれることなく、よりよい生活がしたいという感じを今日は受けました。私は子どもにとって上司のようになりつつあるあるので、命令ばかりしている自分を反省しました。言うことを聞かせたくなるのは一体どうしてなのか、考えなければなりません。失敗したら、そこから何か得るようでありたいのですが、なかなか上手くいきませんねぇ。
 また、アロマや中国語の話も、なかなか面白そうで、これからどんな風に展開していくのか楽しみです。そしていつも私は?私はどうなっていくのかなぁ、と思ってしまうのです。努力が足りないのだとわかってはいるのですが…。

 次回の「たんたんカフェ」は、7月26日午前10時からです。

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復活!できないところが、できるようになるもと!

 小3のMちゃんは、2-27のプリント(引き算縦式3桁-3桁)をやっているのですが、2-25(引き算縦式2桁ー2桁)のプリントになるころから、家に持って帰った宿題が毎日できなくなりました。このプリントは、繰り下がりが出てくる3桁の数どうしの引き算ですから、どの子も少し苦労するところです。
 
 27ー6(引き算縦式2桁-2桁)のプリントから2-27に入って、急に時間がかかるようになったので、どんなやり方をしているのか見ていると、2-26までの2桁の引き算では書いていなかったのですが、上の1桁の数字の上に10を書いているのです。そこで、目安時間までやったところでストップウォッチを止めて、「なぜここに10って書いたの?」と聞くと学校ではそうやっているといいます。

 そこで、横式の引き算プリント2-21を見せて、「例えば、13-5はいくつ?」と聞くと「8」と答えられるのを確認して、もう一度2-27に戻り、「ここに1を書いたら13になるでしょ、この13から5を引いたらいくつ?」「8」「じゃ、となりの7から1を引いたら?」「6」「じゃあ、この6から2を引いたら?」「4」と、順序立てて聞くとできるので、「ここに書く数字は1の方がわかりやすいと思うんだけど、本当にそうかどうか、あと3行だけ試しに1を書くやり方でやってみない?」「うん」

 やり終えたあと「どっちのやり方の方が楽?」と聞くと「1を書く方!」というので、
「じゃあ、今週はこのやり方でやってみようか?」「うん」ということになり、2-27を6枚宿題に持って帰りました。

 でも、次の週も家で1枚だけやっただけで、なかなか毎日ができません。時間もかかっています。つまり、数字の書き方を変えても、繰り下がりがある3桁どうしの縦式の引き算は一つの式の中で4回引き算をしなければなりませんからかなり面倒くさいので、なかなかやる気がしないプリントといって良いでしょう。

 そこで、今週は、こんな提案をしてみました。
「このプリント、面倒くさいでしょ!みんなここで苦労するんだけど、面倒くさい、大変だと思うとなかなかプリントやる気になれないよね。最後までやろうとすると大変だから、今週は特別目安時間だけ(目安時間10分のプリントで11分だけ)やるということにしようか?」と聞くと、「うん」。そして次の週。やったのは1枚でした。

 教室で一枚やってみると目安10分のところ17分でした。そこで、また今週は別の提案をしました。「いいねー。こういうなかなかできないプリントをどうすればできるようになるかを考えるのが面白いんだよね。じゃあ、今週は、半分ずつやって、二日で一枚やることにしようか?絶対それ以上やっちゃダメだよ!」

 次の教室の日、Mちゃんの足音が軽く聞こえます。入ってきた表情も前回とは違います。「どう?できるMちゃんが復活した?」と聞くと「うん!」
 差し出した宿題を見ると毎日きちんと半分ずつやってあり、半分の上にその日の時間が書いてあり、合計の時間が記録されてあります。そして教室で1枚最後までやってみると時間は12分に縮まっています。

 そこで、記録表を一緒に見ながら、「毎日できない日は、3週間で5分しか縮まらなかったけど、今週は1週間で5分縮まったね。大変なプリントでも、『やらない』じゃなく、『できるところまでやる』と決めて、やってみると、嫌々やるよりもずっとできるようになるよね!ところで、今週はどうする?もうそろそろ最後までやってみない?」と聞くと、明るい顔で「うん!」さてさて、今週はどうなることでしょう。楽しみです。

 こんなふうに、子どもたち一人一人に出てくる壁はそれぞれに違っていて、それを乗り越える方法も同じではありません。たまたま、Mちゃんには、今週はこの方法が背中を押してくれたというだけかもしれません。でも、苦労しながら、少しずつ自分の課題を乗り越えていく子どもたちを見ていると、つくづく、できないところが人を育むということ、そして、子どもはみんなできるようになりたいと思っているということを実感するのです。

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なんで人の欠点を指摘するのだろう?

 友人のKさんは50代の主婦ですが、先日会ったときこんなことを聞かれました。

「実は私の友だちで、Tさんという人が日舞を習っていてとても上手だなぁと思っているんですが、同じところで習っている、Tさんより遅く始めた知り合いのMさんと会ったときに、そのTさんの話になったので、私が「Tさんは上手よねー」というと、Mさんは「でも、Tさんは少し姿勢が悪いのよね」って言うんです。それを聞いて、なんでMさんはこんなことを言うのだろうとちょっと不愉快になってしまいました。岡本さんならどう思います?」

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 そう聞かれて、私はこう答えていました。「私なら、姿勢が悪いというのは具体的にどういう風に悪いんですか?先生はそれを見て注意しないのですか?鏡を見たり、ビデオを見たりして自分の姿勢の悪さに気づくような練習方法はとらないんですか?そんな風に、聞いてみるだけですね。決して、不愉快にはならないと思いますが・・・。」

 そう答えると、Kさんは「何で私は不愉快に思うのでしょう?」とまた聞いてきます。

そこで、「私もそうですが、多くの人が知らずにやっていることとして、人を非難することで自分を肯定しようというような意識が働くことがあるように思います。例えば、これはあくまでも想像ですが、MさんがTさんのことをそういうのは、Kさんに「私も一生懸命練習しているのよ。私のことも認めてよ。」と言うことを伝えたいだけかもしれません。そう考えると、不思議と、Mさんの言い方は気にならなくなるような気がします。言葉の表面の意味を捉えるだけではなく、その言葉を発した人の気持ちに寄り添うこともできるかと思うのですが、そのためには、相手の言ったことに寄り添いながら具体的に問いを出していくことが結構大事なことかもしれません。なんでこんなことを言うのだろうと思ったら、そのことを聞いていくと良いのではないでしょうか?」

そんなふうに答えていましたが、答えながら、人を否定することで自分を肯定しようとする生き方のほかにどんな生き方があるだろうかと考えてみました。すると、例えば、「どうせ自分は・・・」と、自分を否定しながらも開き直る生き方もあるなと思いました。また、そのほかには、相手も肯定し、自分も肯定する生き方もあるかもしれないと思いましたが、よく考えてみると、らくだの考え方はまさにそれかもしれないと思いました。自分の問題を自覚しながら、そのことで自分を否定せず、そこから自分を育んでいくことのできる生き方。他者とのコミュニケーションを大事にし(相手を肯定し)、今の自分でもOK、ここから学んでいこう、自分で自分を育んでいこうという生き方。

 そんなことが思い浮かび、とっさにKさんに、「自分を認めてもらいたいから相手を非難する生き方もあるし、どうせ自分はこんなものと開き直っていく生き方もあります。でも、もうひとつ、きちんと自分の問題を自覚し、その問題から学びながら、自分で自分を褒めてあげたくなるような生き方もあります。要は、どの生き方を自分がしたいかということだと思いますが・・・。」そう話していました。

 と、こんなことが気になるのも、私にもそういうところがあるからかもしれません。なかなか自分のことは解りません。

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声かけをしてもいいのでしょうか?

時々、私の教室に来る生徒のお母さんから、「学校の宿題などの声かけをしてもいいのでしょうか?」と聞かれることがあります。
 私の教室では、子どもたちと相談して宿題を決めるのですが、そのプリントを家でやるときに、「プリントやりなさい」とか、「宿題のプリントやったの?」と、声をかけないで下さいとお願いしているので、学校の宿題ではどうなのかと考えてのことかもしれません。この質問にどう答えるかのヒントになりそうな出来事が最近あったので、そのことに触れてみたいと思います。

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 小四のN君は、一年ほど前に入会し、今、小4-10のプリント(二桁のわり算)をやっているところですが、部活が忙しかったり、コンピューターゲームで時間を取られたりで、なかなからくだのプリントを毎日できる状態ではありませんでした。これまでにもいろいろな提案をしたのですがなかなかプリントができるようにならず、お母さんにも、N君と相談して声をかけてもらうように頼んだりしていたのですが、それも効果はありませんでした。

 ところが、昨年の12月に入って、Nくんと野球の話をしながら、こんな提案をしてみました。「学校の宿題の前に、らくだのプリントをすることになっていたけど、なかなか難しいね。でも、お母さんに声をかけてもらってもなかなかできるようにならないから、明日から、プリントをやったらお母さんに記録表を見せて、確認してもらおうか?イチローの連続ヒット記録のように、毎日一枚に挑戦して、お母さんに見てもらうというのはどう?N君の好きな日本ハムもがんばって優勝したことだし、N君もそろそろがんばってみたら?」

 次の週、教室に来たN君の記録表を見て驚きました。毎日きちんとやっているのです。「えぇ、すごいじゃん!」思わず叫んでしまいました。それからクリスマスを迎え、正月を迎え、父親の実家に里帰りしたときも、帰ってきてもずっと毎日やる日が続いていて、一月以上が経ちましたが、まだその状態が続いています。

 お母さんに「最近、ずっと毎日一枚が続いていますがどうですか?」と聞いてみたら、「夕食の前などは、今まで時間があるとゲームをやってずるずると学校の宿題や、らくだを後回しにしていましたが、最近、少し時間があると、『今のうちにらくだやってしまおう』といって、さっと始めるんです。一年前と比べるとずいぶん変わってきたような感じがします。」そんな話をしてくれました。「まぁ、また壁が出て、できなくなるときが来ると思いますが、いつそれが来るか楽しみに待つことにしましょうか!」と私が言うと、「そうですね。」と余裕の表情で答えてくれました。

 N君にとっては、「お母さんに記録表を見てもらう」という行為は、チェックしてもらうという意味ではなく、自分のできないことができるようになるための応援という感じで受け止めているのではないでしょうか?

 こんな親子の関わりを眺めていると、最初に出た「声かけをしてもいいか、悪いか?」という相談は、「正解はどちらか?」という話ではないとつくづく思ってしまいます。「声かけをなぜするのか、どうするのか、しないとすれば、どうしてしないのか?」ということを、親と子どもが納得してルールとして作っているかどうかということが大事なのだということではないでしょうか?

 壁にぶつかって、嫌になりながらも、それを乗り越えようとしてなかなか上手くいかないで困っている子に、ただ「やったの、やりなさい」では、『お母さんはうるさい』ということしか伝わりません。

 子どもに向かって、指示、命令するのではなく、子どもが望んでいる方向を一緒に見据えて、「私はあなたの味方よ、何とか今の壁を乗り越える作戦を一緒に考えましょうか?」そんな親の気持ちが子どもに伝わるためには、「子どもが何を考え、どうしたいのか」を確認したうえで、具体的にどんな協力ができるかを提案し、子ども自身の了解を取ることがまず大事なのだと思います。そして、仮にそのやり方が上手くいかなくても、「この作戦はダメだったね。次の作戦考えようか?」と、あっけらかんと言えることも、子どもには大きな安心につながり、そのことが次に進むきっかけになるのだと思います。

 親の思いを伝えようとしたら、まず親自身が、本当に子どもに伝えたいことを自覚し、どうすればそれが伝えられるかを具体的に考えることです。そしてそれが上手くいかないときは、伝わらないのは相手の問題ではなく、自分の伝え方が問題なのだと思うぐらいでちょうどいいのです。まずは、親自身の考え方の整理と、子どもに対して了解と確認を取ること、それがポイントではないかと思います。

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