インタビューで教育改革
2001年・学びのアトリエ通信10月号からの抜粋
平井雷太さんと平澤憲一さん(新潟県宮柊二記念館長)の公開対談に参加してきました。進行は毎日新聞社会部の澤圭一郎氏でした。「自分流子育て読本創刊号」に載っていた、平井さんと平澤さんの対談記事が非常に興味深く、もっと知りたいと思っての参加でした。
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●荒れた中学校を二年で変えた。
平澤さんは元新潟県長岡南中学校の校長で、赴任した当時、不登校の生徒が全校生徒550人中30人いたといいます。
その中学の学校改革を行い、不登校を2人にまで減らし、同時に地域でも低かった学力レベルさえも高めてしまったという実践の人で、もともと、東大の大学院の教授の佐藤学さんと共に、新潟県の小千谷小学校で、開かれた学校(教育改革のモデル校)作りにもかかわっていました。
その平澤さんがどのようにして学校を変えていったかという話はとても興味深く、私が日ごろ考えていたことのなかで、答えを見つけだせないでいたことに、一筋の灯りが見えてきたような感じがありました。
●平澤さんの実践
平澤さんの実践は、一口でいうと生徒一人一人との対話を中心にしているのですが、もっと具体的にいうと、インタビューを実践しているということになります。
一人一人の生徒の声なき声にまで耳を澄ませ、聴き、尋ねることで、学校に、安心と、生徒自身が自問自答の練習をする場を作っていったのです。
ひとりの暴力的な生徒(番長)とのやり取りの話は圧巻でした。「叱ることで立ち直るものではない」という担任や生徒指導の教師との共通認識のもと、徹底的に聞くことでかかわり、「今、どんな気持ち?」と聞くインタビューから始まった関係の中で寄り添いつづけ、最後にはその子と、「自分より弱い子には手を出さない」と指切りまでしてしまったといいます。
そして言います。「何でも言える安心の場は、何でも聞いてくれる人がいることが前提」だと。
●聞くことの意味
では、なぜそんなに聞くことにこだわるのでしょう?平澤さんはこう言います。
「聞くということには、耳へんの聴くと、尋ねるという二つの意味があると思っています。聴くとは、心を澄まし音楽を聴くように、声にならない声を聴くということ。そして、尋ねるということは、よく聴いていなければできません。聴くと、尋ねるの両方で「聞く」ということになります。
「聞き入れる」ことが存在を認めることになり、とくに、親が子どもの声を聞くということは、親の愛を子どもの心に育むのと同じ事なのです。(何でもかんでも言いなりになるのとは違います)
そして、子どもは、聞かれることで自分の言葉を構築していくのです。」
●聞くことはもっとも自信のある行為
「人は(親や教師は)、安心やゆとりがあるときは聞けるものです。しかし、不安なときは、どうしても教えることが先行してしまい、聞くという行為があることすら忘れてしまう。人間関係の中で一番自信のある行為は聞くということ、自信のある人はよく人に問いかける人ではないでしょうか。ですから、聞くためには、伝えたいものがしっかりとあること、必死に伝えたいことがあることがかなり大事な要素であると思います。そして、言葉というものは心にのっかって出てきますから安心のないところで、心からの声を聞くことはできないのです。」
●21世紀型の教育は聞くことが中心に
私はこの話を聞いて、21世紀型の教育や、子育て、ひいては、人と人の関わりのモデルを見せられたように思いました。
聞くことの意味や、重要性を唱える人はたくさんいると思うのですが、その行為を実践の中でどう使っていくかということが、今問われているの
だと思います。聞くという行為の持つ広がりのようなものを感じてワクワクしてしまいました。
そして、教えない教育ネットワーク会員が主催する講座で必ずおこなうインタビューゲームは、その、聞くという行為を、日常の中に取り入れるためのツールだと改めて考えさせられました。
ともすれば、情報の量や、有用性だけに価値を求めがちな今の時代、それとは反対に丁寧な情報の伝え方というものがものすごく大事で、「誰に、何が、どう伝わったか?」を意識した情報の伝え方が、聞くということで可能になるのではないかと心の底から思いました。
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