学びのアトリエ通信アーカイブ Vol1

今年も、もうすぐりんご狩りの季節を迎えます。子ども達とのやりとりを書いたものがあったのでご紹介します。

******************************************************************

◆今日は、矢板市外の小学校の一年、二年生の生活課の授業で、りんご狩りが予定に入っている。午前9時半から10時半までで、人数が43名。
 いつもなら一箇所に集まって、説明して、食味して、りんご狩りに入るのだが、今日は、りんごを収穫できる木が二本しかないので43名が一度にそこに集まると、込み合うことが予想される。

 一時間の予定の中でするのはあわただしいので、どういう対応をしようか考えた。
 そこで、学校行事の場合、たいていは班分けしてあるだろうから、班の中で最初に、じゃんけんして、勝った子が代表者でりんごを穫り、残りの子どもはそれを見ている、そして代表した子が穫ったりんごを食味に提供し、同時に、見分け方と、穫り方の説明をしてみようかと思った。

◆これが大成功だった。
 一時間バスに揺られてきた子は、じゃんけんゲームの一言にのった。
 その上、これまでりんご狩りをしても、私の説明だけでは、なかなか自分で美味しいりんごを選び獲ることができない子が多かったのだが、今回は、自分たちの代表が穫っているのを見て、そして、穫ってきたりんごを観察し、食べてみて、全てのことが一瞬で伝わったような気がする。

◆代表が穫ったそのりんごと、こちらで用意しておいたりんごの味を比べることで、あまり美味しくないりんごもあることが伝わった。
 その上、自分たちのりんごをむいて食べてみたいということで、ナイフを使うことにも抵抗無く挑戦していた。また、食べ終わった子から先にりんご狩りが出来るということで、一度に2本の木に集中すること無く、混雑もしなかった。

◆台風一過のようなりんご狩りが終わって子どもたちが帰った後、かみさんが「ひとつだけ心配があるのだけど、美味しくないりんごを穫った子が、皆に責められないだろうか?」と言う。

 私は、『それは大丈夫。「その子のおかげで、不味いりんごがあることが分かってよかったね。」「まずいりんごがどんなのか分かったことはすごい。」とフォローしたし、最初に、美味しいりんごと、不味いりんごがあることを説明して、皆に確認したし、その違いを見分けるのはとても難しいことだと伝え、安心してまずいりんごを穫れるような雰囲気を作っておいたから。』と答えていた。

◆話していて、これは、教室で子どもと向き合うときの状況と、とても似ていると思ってしまった。

 失敗してもいいという安心を伝えること。まずやってみる事が大切だということ。分かるということと、出来るということは違うということ。

 自分で獲るのがけっこう難しいということを体験した子は、「大きいの獲れたよ。」「このりんごは大丈夫?」と聞くことはあっても、他の子と比べて「僕のは大きいけど、おまえのは小さいな」とか「僕のほうが美味しそうだ」などと言う子はいなかった。

◆教室で、子どもたちとどう向き合うかといつも考えているが、私には、りんご狩りを通して子どもたちと向き合う機会がたくさんあるということに気がついた。
 それを大事にしようと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

お母さんを応援することが自分を応援することだった。

 小2のM子ちゃんは、今小2-10のプリント(横式引き算の最後)をやっているのですが、小2-6のプリントあたりで、もって帰った宿題がなかなか家でやれない日が続いていました。「あの、M子ちゃんはどこへ行ったんでしょうねー」と、毎日のように続いていた頃の自分の姿を思い浮かべながらも、なかなかできない自分をもてあましているような感じでした。

**********************************************************

 そのM子ちゃんのお母さんが、先週教室に来たとき、「お父さんと二人で、私たちもプリント何か始めましょうかねぇーと話しているんです。」というので、「どの教科をやりたいですか?本当は算数がいいんですが!」と、聞くと「算数は、ちょっと。とりあえず、漢字をやってみます。」というので、早速教室で1枚やってもらい、宿題も持って帰ることになりました。

 その際、「M子ちゃん、お母さんがプリントができるように応援してあげてね。時間を決めて一緒にやったらいいかもしれないね!」と提案してみました。M子ちゃんは「うん」と言って、教室を後にしたのですが、その1週間後、記録表を見たら、ほとんど毎日やってありました。その上、なかなか合格しなかった、2-6のプリントが合格していました。そして引き続き2-7、2-8とあっという間に合格し、宿題で2-9、2-10を5枚ずつ持って帰りました。

 そして、昨日お母さんから昼間に電話があり、「じつは、M子が、一枚目で2-9を合格してしまい、このままだと2-10も合格して、プリントが足りなくなりそうだから次のプリントをもらいに行きたいというのです。明日教室はやっていますか?」

 私は、「合格しても、同じプリントをやることは決して無駄になりませんから、そうしてみませんか?」と言うと、「私も、そう言ったのですが、次に進みたいからと言うんです。」
 こんなM子ちゃんの様子は初めてです。そこで、「分かりました。明後日なら教室が空いていますから、6時以降なら居ますので、来てください。」と言って電話を切りました。

 今まで、いろいろなやり方を提案し、なかなかできるようにならなかったM子ちゃんですが、ひょんなことから、リセットして始めることができるようになりました。
 親と子の関係の中で、子どもが親を応援することで、自分の課題も一緒に乗り越えていくことがあるのだということを改めて感じました。

 次の週、教室に来たM子ちゃんに、「最近毎日続いているのはどうして?」と聞いてみました。すると、「おかあさんがやろうと言ったとき、すぐにやるようになったから!」
「そうか、前に、お母さんに声かけしてもらうことにしたことがあったけど、そのときは、声かけしてもらっても、後回しにしてやらないことがけっこうあったけど、今回はお母さんがやるときに一緒にやっているんだ?」

 お母さんに記録表を確認することをお願いしたN君が、毎日プリントができるようになったことにしても、このM子ちゃんにしても、ここ最近、積極的なお母さんとの関わり方を提案することで、子どもが自分の壁を乗り越えていくのを目の当たりにする機会が続きましたが、このあたりに、もしかしたら、らくだの指導のポイントが一つ隠されているような気がします。

 親にしても、私たち指導者にしても、ただ、やるように言葉だけで働きかけるだけではなく、子どもがそうしたくてもできないのだということを認めたうえで、どうしたらできるようになるか、具体的な方法を一緒に考えて支援していくことがものすごく大事なことであり、特に、互いの合意の上で具体的な方法を試すこと、ダメならまた次の具体的な方法を試すというふうに、諦めず、根気よく続けることしかないのでしょう。

 特に今回は、子どもは親の具体的な支援を心のどこかで望んでいるのだということを、つくづく感じました。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

目標を持つこと。百回、百日続けること。

 大学生のお子さんのいるお母さんと、お子さんの将来の話になりました。
「うちの子は、取り立てて得意というものを持っているわけではなく、やりたいことがあるわけでもないので、何か目標を持ってもらいたいのだけれど…」と、そのお母さんは言うのですが、私が、今までそのお母さんに聞いてきたお子さんの様子というのは、勉強も一生懸命、サークル活動なども一生懸命、まさに青春を謳歌しているように感じていたので、なぜそう言うのか不思議でした。

************************************************

 私が、「何かやりたいことがない、目標がない、でも一生懸命というのはすごくいいですよね。」と言うと、そのお母さんは怪訝な顔をしました。

 そこで私はこんな話をしました。「よく学校の先生は、とくに中学生ぐらいになると、目標を持ってがんばれといいますが、私が自分の息子を見ていて感じたのは、子どもが目標を持つというのはそんなに簡単なことじゃないということでした。

  今の子は、テレビなどでいろいろな情報は入ってくるけれど、何というか、肌で感じられる情報はほとんどないと思いますし、私の息子も高3の夏頃まで、進路についてはいろいろ悩んでいて、とりあえず、理系のコースは選択していましたが、『理系の大学に行ってこれをやりたいというのがないんだよなー』と言っていました。

  地域と学校と家庭だけの狭いエリアの中では、よほど意識していないといろいろな人に会う機会は少ないし、様々な大人の話を聞き自分の将来などをじっくり考える機会などほとんど皆無じゃないですか?だから、私は、そう言う学校の先生がいたら、どうすれば目標を持つことができるんですか?と聞いてみたいものだと思います。

  私は、目標を持つことが大事なのではなく、目標が見つかっても見つからなくても、自分が今直面していることに、今という時間に真っ正面から向き合って頑張っているあなたのお子さんは、なんにでもなれる可能性をすでに手に入れているのだと思います。

  とりあえず今の課題を乗り越えられない子が、目標を仮に持ったとしてもそれが叶う可能性はほとんどないでしょうし、叶ったとしてもそこ止まりでしょうね。そういう意味では、あなたのお子さんはなんにでもなれる無限の可能性を持っていると思いますよ。」

 そんな話をして2,3日後に下野新聞を読んでいたら、船橋情報ビジネス専門学校職員の鳥居徹也さんが書かれている「自立ってなんだ?キャリア教育の現場から」という連載のコラムが目にとまりました。内容は下記の通りです。

*********************************************************************** 

「働く意味なんて、子どもはどうでもいいのでは?」とよく言われます。所得格差が広がったとはいえ、日本は経済大国。本物の貧困は見えにくく、「食べるために働く」では説得力は乏しい。そんな豊かさに慣れた「どうでもいい」子どもだからこそ、働く意味を説く必要があるわけです。

 働くのに、今ほど意志が必要な時代もなかったのではないでしょうか?身分制度があり、家業を継ぐのが当然だった社会では、選択の余地がありませんでした。その点、現代は、何でもできる。可能性がある。しかし、何でもできる状況は何にもできないのと表裏です。何かを選ばなければならず迷いが生じます。

 自分がどう生きたいのか、やりたいことは何か。こうした「自分探し」に明け暮れ、何をすればいいのか分からなくなる若者が多いと聞きます。でもあるとき私の講演を聞いた生徒の一人が、感想文にこんな悩みを書いてくれました。「自分の個性が見えない、夢がないと言う以前に具体的な努力が続かなくて…」

 私はハッとしました。まだまだ未熟な若者が、いきなり個性を見極め、夢を見つけようと力んでも答えなど見つからなくて当然です。遠くを目指すには、まず足元を固めなくては。自分探しの迷路で途方に暮れる子どもたちに、地道な努力を重ねる大切さをうまく伝えられないだろうか。そんな思いで授業に取り入れたのが名付けて「百回、百日ブレークスルー理論」。

 努力はコツコツと続ける必要がありますが、その成果は努力に応じて直線的に上がるわけではなく、当初は低調に進み、ある瞬間を境に急加速するもの。その瞬間を「百回、百日」の表現で象徴したのです。絵なら百枚描く。将棋なら百回指す。刑事なら「現場百回」地道な反復練習の大切さを伝えるのに、百という目安は多用されています。そこには、「成果はすぐに出ない。でも努力は裏切らない」というメッセージが込められているのです。 期末テストでも持久走でもいい。目の前の課題に懸命に取り組み、失敗や失望を乗り越えて得た成功や達成感は、他人からは教われない宝物です。その積み重ねの中で個性や夢が育まれ本当にやりたい仕事が見えてくる。そう私は思っています。

***********************************************************************

 これを読んで、私がこのお母さんに話したことと重なると思いました。このお母さんの娘さんは、目の前の課題に懸命に取り組んでいるのです。そんな彼女が、「自分の夢を育んでいく力」をつけていないはずがないと思うのです。

 私が教室で子どもたちに、「まずは一枚のプリントをやること、一日たった五分でもいいから続けることの大切さ」を言い続けるのは、それができないことを責めるのではなく、「それを続けようとする努力が自分を育ててくれる」と、信じているからです。

 6月28日の「たんたんカフェ」で何人かの方が、この鳥井さんのコラムを読んでふと思ったことを書いたのでご紹介します。

●Iさん

  「辞めたい」と半ベソをかいていた一年前…、長男、(小5)は、今では部活(野球)第一の生活を送っています。地区のお祭りも育成会のイベントも「練習があるから…」「試合だから…」と、すべてキャンセル。上手な後輩にポジションを奪われ、最近はあまり試合に出られないのに。「どうせ○○の方が、運動神経がいいから」と悔しいくせに、自主練はせず…。
 コラムの中の「百回百日」は結果を早急に求めすぎる私にも、息子にも耳が痛い言葉です。「努力は裏切らない」ことを、繰り返して伝えていきたいと思いました。

●Yさん

 娘(小3)は保母さんになりたいと思っているみたいです。特に私が(親の姿)子どもに接する姿勢で感じたのではなく、自分が保育園時代を通してそう思っているのだと思います。一生懸命保母さんが子どもに接する姿。子どもたちは年長になると働くこと。朝のぞうきんがけ、ほうき、廊下を掃く、犬の散歩、にわとり小屋とお当番があります。小さいときから身につけていくというのは大事なことと感じます。これは保育園なので、家で、それをどういうふうにしていくかということですね。

●Sさん

 今でも探し続けているような感じ。子どもたちが自分の手を離れてからの自分が不安。

このSさんが、たんたんカフェに参加しての感想を書いてくれましたので、ご紹介します。

 今日はありがとうございました。
子育て中のママが集まると「自分の体験談」をいろいろ聞くことができるので参考になります。子育てをしながら、その苦労におぼれることなく、よりよい生活がしたいという感じを今日は受けました。私は子どもにとって上司のようになりつつあるあるので、命令ばかりしている自分を反省しました。言うことを聞かせたくなるのは一体どうしてなのか、考えなければなりません。失敗したら、そこから何か得るようでありたいのですが、なかなか上手くいきませんねぇ。
 また、アロマや中国語の話も、なかなか面白そうで、これからどんな風に展開していくのか楽しみです。そしていつも私は?私はどうなっていくのかなぁ、と思ってしまうのです。努力が足りないのだとわかってはいるのですが…。

 次回の「たんたんカフェ」は、7月26日午前10時からです。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

復活!できないところが、できるようになるもと!

 小3のMちゃんは、2-27のプリント(引き算縦式3桁-3桁)をやっているのですが、2-25(引き算縦式2桁ー2桁)のプリントになるころから、家に持って帰った宿題が毎日できなくなりました。このプリントは、繰り下がりが出てくる3桁の数どうしの引き算ですから、どの子も少し苦労するところです。
 
 27ー6(引き算縦式2桁-2桁)のプリントから2-27に入って、急に時間がかかるようになったので、どんなやり方をしているのか見ていると、2-26までの2桁の引き算では書いていなかったのですが、上の1桁の数字の上に10を書いているのです。そこで、目安時間までやったところでストップウォッチを止めて、「なぜここに10って書いたの?」と聞くと学校ではそうやっているといいます。

 そこで、横式の引き算プリント2-21を見せて、「例えば、13-5はいくつ?」と聞くと「8」と答えられるのを確認して、もう一度2-27に戻り、「ここに1を書いたら13になるでしょ、この13から5を引いたらいくつ?」「8」「じゃ、となりの7から1を引いたら?」「6」「じゃあ、この6から2を引いたら?」「4」と、順序立てて聞くとできるので、「ここに書く数字は1の方がわかりやすいと思うんだけど、本当にそうかどうか、あと3行だけ試しに1を書くやり方でやってみない?」「うん」

 やり終えたあと「どっちのやり方の方が楽?」と聞くと「1を書く方!」というので、
「じゃあ、今週はこのやり方でやってみようか?」「うん」ということになり、2-27を6枚宿題に持って帰りました。

 でも、次の週も家で1枚だけやっただけで、なかなか毎日ができません。時間もかかっています。つまり、数字の書き方を変えても、繰り下がりがある3桁どうしの縦式の引き算は一つの式の中で4回引き算をしなければなりませんからかなり面倒くさいので、なかなかやる気がしないプリントといって良いでしょう。

 そこで、今週は、こんな提案をしてみました。
「このプリント、面倒くさいでしょ!みんなここで苦労するんだけど、面倒くさい、大変だと思うとなかなかプリントやる気になれないよね。最後までやろうとすると大変だから、今週は特別目安時間だけ(目安時間10分のプリントで11分だけ)やるということにしようか?」と聞くと、「うん」。そして次の週。やったのは1枚でした。

 教室で一枚やってみると目安10分のところ17分でした。そこで、また今週は別の提案をしました。「いいねー。こういうなかなかできないプリントをどうすればできるようになるかを考えるのが面白いんだよね。じゃあ、今週は、半分ずつやって、二日で一枚やることにしようか?絶対それ以上やっちゃダメだよ!」

 次の教室の日、Mちゃんの足音が軽く聞こえます。入ってきた表情も前回とは違います。「どう?できるMちゃんが復活した?」と聞くと「うん!」
 差し出した宿題を見ると毎日きちんと半分ずつやってあり、半分の上にその日の時間が書いてあり、合計の時間が記録されてあります。そして教室で1枚最後までやってみると時間は12分に縮まっています。

 そこで、記録表を一緒に見ながら、「毎日できない日は、3週間で5分しか縮まらなかったけど、今週は1週間で5分縮まったね。大変なプリントでも、『やらない』じゃなく、『できるところまでやる』と決めて、やってみると、嫌々やるよりもずっとできるようになるよね!ところで、今週はどうする?もうそろそろ最後までやってみない?」と聞くと、明るい顔で「うん!」さてさて、今週はどうなることでしょう。楽しみです。

 こんなふうに、子どもたち一人一人に出てくる壁はそれぞれに違っていて、それを乗り越える方法も同じではありません。たまたま、Mちゃんには、今週はこの方法が背中を押してくれたというだけかもしれません。でも、苦労しながら、少しずつ自分の課題を乗り越えていく子どもたちを見ていると、つくづく、できないところが人を育むということ、そして、子どもはみんなできるようになりたいと思っているということを実感するのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

なんで人の欠点を指摘するのだろう?

 友人のKさんは50代の主婦ですが、先日会ったときこんなことを聞かれました。

「実は私の友だちで、Tさんという人が日舞を習っていてとても上手だなぁと思っているんですが、同じところで習っている、Tさんより遅く始めた知り合いのMさんと会ったときに、そのTさんの話になったので、私が「Tさんは上手よねー」というと、Mさんは「でも、Tさんは少し姿勢が悪いのよね」って言うんです。それを聞いて、なんでMさんはこんなことを言うのだろうとちょっと不愉快になってしまいました。岡本さんならどう思います?」

*************************************************************

 そう聞かれて、私はこう答えていました。「私なら、姿勢が悪いというのは具体的にどういう風に悪いんですか?先生はそれを見て注意しないのですか?鏡を見たり、ビデオを見たりして自分の姿勢の悪さに気づくような練習方法はとらないんですか?そんな風に、聞いてみるだけですね。決して、不愉快にはならないと思いますが・・・。」

 そう答えると、Kさんは「何で私は不愉快に思うのでしょう?」とまた聞いてきます。

そこで、「私もそうですが、多くの人が知らずにやっていることとして、人を非難することで自分を肯定しようというような意識が働くことがあるように思います。例えば、これはあくまでも想像ですが、MさんがTさんのことをそういうのは、Kさんに「私も一生懸命練習しているのよ。私のことも認めてよ。」と言うことを伝えたいだけかもしれません。そう考えると、不思議と、Mさんの言い方は気にならなくなるような気がします。言葉の表面の意味を捉えるだけではなく、その言葉を発した人の気持ちに寄り添うこともできるかと思うのですが、そのためには、相手の言ったことに寄り添いながら具体的に問いを出していくことが結構大事なことかもしれません。なんでこんなことを言うのだろうと思ったら、そのことを聞いていくと良いのではないでしょうか?」

そんなふうに答えていましたが、答えながら、人を否定することで自分を肯定しようとする生き方のほかにどんな生き方があるだろうかと考えてみました。すると、例えば、「どうせ自分は・・・」と、自分を否定しながらも開き直る生き方もあるなと思いました。また、そのほかには、相手も肯定し、自分も肯定する生き方もあるかもしれないと思いましたが、よく考えてみると、らくだの考え方はまさにそれかもしれないと思いました。自分の問題を自覚しながら、そのことで自分を否定せず、そこから自分を育んでいくことのできる生き方。他者とのコミュニケーションを大事にし(相手を肯定し)、今の自分でもOK、ここから学んでいこう、自分で自分を育んでいこうという生き方。

 そんなことが思い浮かび、とっさにKさんに、「自分を認めてもらいたいから相手を非難する生き方もあるし、どうせ自分はこんなものと開き直っていく生き方もあります。でも、もうひとつ、きちんと自分の問題を自覚し、その問題から学びながら、自分で自分を褒めてあげたくなるような生き方もあります。要は、どの生き方を自分がしたいかということだと思いますが・・・。」そう話していました。

 と、こんなことが気になるのも、私にもそういうところがあるからかもしれません。なかなか自分のことは解りません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

声かけをしてもいいのでしょうか?

時々、私の教室に来る生徒のお母さんから、「学校の宿題などの声かけをしてもいいのでしょうか?」と聞かれることがあります。
 私の教室では、子どもたちと相談して宿題を決めるのですが、そのプリントを家でやるときに、「プリントやりなさい」とか、「宿題のプリントやったの?」と、声をかけないで下さいとお願いしているので、学校の宿題ではどうなのかと考えてのことかもしれません。この質問にどう答えるかのヒントになりそうな出来事が最近あったので、そのことに触れてみたいと思います。

***************************************************************

 小四のN君は、一年ほど前に入会し、今、小4-10のプリント(二桁のわり算)をやっているところですが、部活が忙しかったり、コンピューターゲームで時間を取られたりで、なかなからくだのプリントを毎日できる状態ではありませんでした。これまでにもいろいろな提案をしたのですがなかなかプリントができるようにならず、お母さんにも、N君と相談して声をかけてもらうように頼んだりしていたのですが、それも効果はありませんでした。

 ところが、昨年の12月に入って、Nくんと野球の話をしながら、こんな提案をしてみました。「学校の宿題の前に、らくだのプリントをすることになっていたけど、なかなか難しいね。でも、お母さんに声をかけてもらってもなかなかできるようにならないから、明日から、プリントをやったらお母さんに記録表を見せて、確認してもらおうか?イチローの連続ヒット記録のように、毎日一枚に挑戦して、お母さんに見てもらうというのはどう?N君の好きな日本ハムもがんばって優勝したことだし、N君もそろそろがんばってみたら?」

 次の週、教室に来たN君の記録表を見て驚きました。毎日きちんとやっているのです。「えぇ、すごいじゃん!」思わず叫んでしまいました。それからクリスマスを迎え、正月を迎え、父親の実家に里帰りしたときも、帰ってきてもずっと毎日やる日が続いていて、一月以上が経ちましたが、まだその状態が続いています。

 お母さんに「最近、ずっと毎日一枚が続いていますがどうですか?」と聞いてみたら、「夕食の前などは、今まで時間があるとゲームをやってずるずると学校の宿題や、らくだを後回しにしていましたが、最近、少し時間があると、『今のうちにらくだやってしまおう』といって、さっと始めるんです。一年前と比べるとずいぶん変わってきたような感じがします。」そんな話をしてくれました。「まぁ、また壁が出て、できなくなるときが来ると思いますが、いつそれが来るか楽しみに待つことにしましょうか!」と私が言うと、「そうですね。」と余裕の表情で答えてくれました。

 N君にとっては、「お母さんに記録表を見てもらう」という行為は、チェックしてもらうという意味ではなく、自分のできないことができるようになるための応援という感じで受け止めているのではないでしょうか?

 こんな親子の関わりを眺めていると、最初に出た「声かけをしてもいいか、悪いか?」という相談は、「正解はどちらか?」という話ではないとつくづく思ってしまいます。「声かけをなぜするのか、どうするのか、しないとすれば、どうしてしないのか?」ということを、親と子どもが納得してルールとして作っているかどうかということが大事なのだということではないでしょうか?

 壁にぶつかって、嫌になりながらも、それを乗り越えようとしてなかなか上手くいかないで困っている子に、ただ「やったの、やりなさい」では、『お母さんはうるさい』ということしか伝わりません。

 子どもに向かって、指示、命令するのではなく、子どもが望んでいる方向を一緒に見据えて、「私はあなたの味方よ、何とか今の壁を乗り越える作戦を一緒に考えましょうか?」そんな親の気持ちが子どもに伝わるためには、「子どもが何を考え、どうしたいのか」を確認したうえで、具体的にどんな協力ができるかを提案し、子ども自身の了解を取ることがまず大事なのだと思います。そして、仮にそのやり方が上手くいかなくても、「この作戦はダメだったね。次の作戦考えようか?」と、あっけらかんと言えることも、子どもには大きな安心につながり、そのことが次に進むきっかけになるのだと思います。

 親の思いを伝えようとしたら、まず親自身が、本当に子どもに伝えたいことを自覚し、どうすればそれが伝えられるかを具体的に考えることです。そしてそれが上手くいかないときは、伝わらないのは相手の問題ではなく、自分の伝え方が問題なのだと思うぐらいでちょうどいいのです。まずは、親自身の考え方の整理と、子どもに対して了解と確認を取ること、それがポイントではないかと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

インタビューで教育改革

2001年・学びのアトリエ通信10月号からの抜粋

平井雷太さんと平澤憲一さん(新潟県宮柊二記念館長)の公開対談に参加してきました。進行は毎日新聞社会部の澤圭一郎氏でした。「自分流子育て読本創刊号」に載っていた、平井さんと平澤さんの対談記事が非常に興味深く、もっと知りたいと思っての参加でした。

*********************************************************

●荒れた中学校を二年で変えた。

 平澤さんは元新潟県長岡南中学校の校長で、赴任した当時、不登校の生徒が全校生徒550人中30人いたといいます。
 その中学の学校改革を行い、不登校を2人にまで減らし、同時に地域でも低かった学力レベルさえも高めてしまったという実践の人で、もともと、東大の大学院の教授の佐藤学さんと共に、新潟県の小千谷小学校で、開かれた学校(教育改革のモデル校)作りにもかかわっていました。
 その平澤さんがどのようにして学校を変えていったかという話はとても興味深く、私が日ごろ考えていたことのなかで、答えを見つけだせないでいたことに、一筋の灯りが見えてきたような感じがありました。

●平澤さんの実践

 平澤さんの実践は、一口でいうと生徒一人一人との対話を中心にしているのですが、もっと具体的にいうと、インタビューを実践しているということになります。
 一人一人の生徒の声なき声にまで耳を澄ませ、聴き、尋ねることで、学校に、安心と、生徒自身が自問自答の練習をする場を作っていったのです。
 ひとりの暴力的な生徒(番長)とのやり取りの話は圧巻でした。「叱ることで立ち直るものではない」という担任や生徒指導の教師との共通認識のもと、徹底的に聞くことでかかわり、「今、どんな気持ち?」と聞くインタビューから始まった関係の中で寄り添いつづけ、最後にはその子と、「自分より弱い子には手を出さない」と指切りまでしてしまったといいます。
 そして言います。「何でも言える安心の場は、何でも聞いてくれる人がいることが前提」だと。
●聞くことの意味

 では、なぜそんなに聞くことにこだわるのでしょう?平澤さんはこう言います。
「聞くということには、耳へんの聴くと、尋ねるという二つの意味があると思っています。聴くとは、心を澄まし音楽を聴くように、声にならない声を聴くということ。そして、尋ねるということは、よく聴いていなければできません。聴くと、尋ねるの両方で「聞く」ということになります。
「聞き入れる」ことが存在を認めることになり、とくに、親が子どもの声を聞くということは、親の愛を子どもの心に育むのと同じ事なのです。(何でもかんでも言いなりになるのとは違います)
 そして、子どもは、聞かれることで自分の言葉を構築していくのです。」

●聞くことはもっとも自信のある行為

 「人は(親や教師は)、安心やゆとりがあるときは聞けるものです。しかし、不安なときは、どうしても教えることが先行してしまい、聞くという行為があることすら忘れてしまう。人間関係の中で一番自信のある行為は聞くということ、自信のある人はよく人に問いかける人ではないでしょうか。ですから、聞くためには、伝えたいものがしっかりとあること、必死に伝えたいことがあることがかなり大事な要素であると思います。そして、言葉というものは心にのっかって出てきますから安心のないところで、心からの声を聞くことはできないのです。」

●21世紀型の教育は聞くことが中心に 

 私はこの話を聞いて、21世紀型の教育や、子育て、ひいては、人と人の関わりのモデルを見せられたように思いました。
 聞くことの意味や、重要性を唱える人はたくさんいると思うのですが、その行為を実践の中でどう使っていくかということが、今問われているの
だと思います。聞くという行為の持つ広がりのようなものを感じてワクワクしてしまいました。
 そして、教えない教育ネットワーク会員が主催する講座で必ずおこなうインタビューゲームは、その、聞くという行為を、日常の中に取り入れるためのツールだと改めて考えさせられました。
 ともすれば、情報の量や、有用性だけに価値を求めがちな今の時代、それとは反対に丁寧な情報の伝え方というものがものすごく大事で、「誰に、何が、どう伝わったか?」を意識した情報の伝え方が、聞くということで可能になるのではないかと心の底から思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

反抗期ってなんだろう?

 高一の男の子をもつお母さん 。
  反抗期の子どもとのコミュニケーションが取れないことで少し悩んでいる
 というのですが、ふと、「反抗期」ってなんだろうと考えてしまいました。

******************************

●私は、以前から、「反抗期って本当にあるのかな?」と思っていました。というのは、自分の子育てのなかでこれが反抗期だと感じたことがなかったからです。
 息子が、年齢とともに少しづつ反抗的な態度を取ることはありましたが、しかし、それは、その時々に、自分の意志をうまく表現できずに、つい感情を押さえ切れないという感じで、これが反抗期というものではなかったと思っています。

●「子どもが反抗期で困っている」と言いながら、「子どもの成長過程で反抗期はあるのが当たり前」とか、「反抗期がないことのほうが問題だ」と言う人がいましたが、私にはどうしてもそう思えませんでした。
 子どもの反抗というのは、親と子どもの関わりの中で生まれる、子どもの意志表示のひとつの形でしかないと考えると、反抗という形を取らずとも、聞きあう関係のなかでコミュニケーションを取る方法もあるはずだと思っていました。

●あるとき息子が(確か中三の頃)、反抗的な態度を取り、それに対して私が自分の意見を言ったとき「やっとお父さんに面と向かって反抗できるようになったんだよ。」という言葉が返ってきました。でもそれは、これから反抗するという宣言ではなく、自分の考えをはっきり言えるようになったという「自立宣言」として私は捉えていました。

●そんなことを考えながら、「反抗期から、自立期へ」という言葉が浮かびました。
 子どもが反抗的になったときに「反抗期だから」と考えるとそこで納得しておしまい、あるいは、そのことで悩むということになりそうですが、「自立期」と考えれば、「その子の自立を援助するために親は何ができるだろう」と考えることができます。
 発達心理学者のなかには「自己拡張期」という言葉を使う人もいるという話を聞きました。あるいは、『私なら「脱皮の時期」というふうに考えるかな』という人もいました。
 親や、周囲の大人との関係も含めた、さまざまな体験の中から子どもは一枚一枚殻を脱いでいくように成長していくのだと考えると、当たり前のように使っている「反抗期」という言葉がずいぶん違って聞こえてくるのではと思います。

●このお母さんも「反抗期の子どもとのコミュニケーションをどう取るか?」で悩むのではなく、
「自立期の子どもに何を伝えられるか?」を考えていくと、自分が育つことに関心が向いていくのかなと思ってしまいました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『子どもたちと一緒に春休みを作っていくこと』

仕事を持っているお母さんが頭を悩ませることのひとつに、「学校が休みだけれど、自分の仕事は休めない、そのとき子どもをどうするか?」ということがあるかと思います。

親の都合で問題が起こったとき、その問題を使って子供たちと関わっていくという、あるお母さんの話してくれた子どもとのかかわりがとても面白かったので、そのことを書いてもらいました。

さてさて、あなたなら・・・。

***********************************************************

●『子どもたちと、何をどのように使って関わっていくか』と具体的に考えるようになったのは、わりと最近のことだと思います。現在9歳と6歳の息子が、春休み中の私が仕事に出掛けている約7時間という時間を、「自分たちだけで留守番をする」と言い出して、私が「どうしよう?」と考えたことによって、いろいろ見えてきたものがありました。

●2年半前に専業主婦の私が仕事をもったとき、『幼稚園の延長保育に預ける』、『小学校の学童保育に預ける』という状況が生まれました。これまで密着していた子どもとの関係を見直すことになり、自分の中にハッキリとした理由がわからない「不安」や「後ろめたさ」を感じました。私が自分で働くことを決めたにもかかわらず、「今までと同じように、一緒にいてあげられないのは、子どもにとって悪いことではないか?」と思っていました。

このときは、将来子どもたちと離れていくということは意識していなくて、「ただ一緒にいる」ことで、私の目についた子どもの欠けている部分を取り繕い、周りの人の目を気にして「良い母親」としての立場に安心していたかったのだと思います。

●いざ働き始めると、子どもが学童保育を嫌がったり、「お母さんが働くのは反対だ」と言い出したり、私が仕事にかかりきりになってしまったり・・と、絶えず問題が起きました。それでも、私は「子どものために仕事を辞める」ことや「子どもに仕事のことをわかってもらう」ということをせずに、ただ「仕事を続けること」をしてきたのだと思います。自分や相手を変えようとすることで、問題は解決しないことを感じながら、仕事も家庭でのことも思うように出来ない自分に向き合い、そこでの自分と人との関係を考えていくうちに、私が母親として子どもに「・・・してあげる」という関係から、子どもたちに何かを「伝える」という関わりになってきたのかなぁ・・と思います。

●3学期の終わりに、子どもたちに春休みの預け先を(次男は、この4月に小学校に入学したので)『3月は長男が学童、次男は幼稚園、4月から次男学童、長男自宅で留守番』、『春休みいっぱい、二人で幼稚園の休日保育』という選択肢をあげて相談をしました。すると、長男に「考えていたんだけど、子どもだけでずっと家にいるのはだめなの?」と聞かれました。今年に入ってから、私のちょっとした用事のたびに意識的に二人で留守番をしてもらっていたのですが、突然の長男の問いに「どうだろうねぇ・・、どうしたらいいと思う?」と、逆に聞きかえしていました。

●「二人で留守番している。」と言われた瞬間、留守番ができるかどうかは気になりませんでした。パッと頭に浮かんだのは、「春休みは、何日あるのか。」、「子どもたちの予定、やりたいことは何か」、「私がして欲しいことは何か」、「2人で何ができるか」・・・と、子どもたちと3人で計画をたててみたらどうか、ということでした。留守番を希望しているのは子どもたちなので、やりたいことがあってのことかも知れないし、その辺りも聞きながら・・と考えると楽しみになってきました。

●留守番をさせることはその時点で決めていたのですが、具体的に何をすることが必要なのかずっと考えていて、休みが始まる2日前に、「二人でお留守番する話なんだけど、毎日何をするか計画たててみようか。」と提案しました。私が休みの土、日曜日を含めて、1週間ごとの3人の予定をA4の横書きの表にしてみました。私は、仕事以外にも職場の打ち上げで夜出かけたり、週に2日は甥たちを夕方保育園に迎えに行って預かるなどの、留守番を頼む用事がありました。普段やっていても改めて表に書き出したことで、自分のバタバタした生活を「計画」として見直してみるきっかけになりました。

●子どもたちは、それぞれ春休みに東京へ引っ越しをするお友だちにさよならを言いに行く日や、図書館、整骨院(足首の弱い長男の趣味みたいなもの)、次男の音楽教室の発表会、映画、4年前まで住んでいた社宅の人と遊びにいく・・・など書き入れていきました。そして、それをもとに、別の紙に初日1日分のスケジュールを時間に沿って書き入れました。私は、自分が出勤する時間、帰宅時間、食事をどうするか、ということ以外は、なるべく口を挟まないようにしようと思っていました。時間を組み立てていくというのは、大人でも難しいし、柔軟に対応するというのは経験を積んでいくしかないような気がして、「でも、一応書いておくとラクだな。」という程度のことが伝わればいいなぁ・・と、時間的な配分は考えられないスケジュールのままで、初日を迎えました。

●初日は、長男の朝のスイミング(帰りは自分で歩いて帰ってきて、次男はそれまで一人で家にいる)と、整骨院、図書館、スーパーへの買い物、ビデオを見る、ゲーム、お昼を作って食べる、・・などがあったのですが、私が夕方4時過ぎに帰宅すると、口をそろえて「ひまだった。」と言いました。スケジュールの表の内容にとらわれてしまって、それが終わると、何をしていいかがわからなかったようです。「暇になっちゃったら、何かしたいと思わなかった?」と聞くと、「お母さんに電話。」という返事で、電話で私に何をしたら良いか決めて欲しかったようです。このときは一緒に計画を立てても、表を私からの指示のように受け止めていたのだと思いました。それから毎日、その日どうして時間が余ったかとか、何が面白かったかとか、けんかになったのはなぜかとか、家の手伝いの提案など、一緒に話すことを続けました。

●そして、(主に長男に感じるのですが)だんだん時間的な感覚が身についてきた感じの計画をたてるようになり、かつ表にとらわれずに自由に過ごしていると感じるようになりました。「午前中、整骨院が混んでいて遅くなったら、買い物と図書館は、お昼を食べてから行ってもいいことにする。」とか、「お母さんが帰ってこられる時間にあわせてスパゲティをゆでるから、お昼に帰ってこられる?」と誘われたりしました。次男は次男で、長男に合わせながらどのように自分がすごすかということを考えているように感じ、私への報告は「たけちゃん(次男)、どっちでもいいよって言った。」と、長男とぶつからないようにしている様子がうかがえました(それでもけんかは多かったようですが)。

●長男の友だちのお母さんが、二人で留守番しているのを知って気にかけてくれて、たびたび遊びに来るように誘ってくれたときに、以前の私だったら「かわいそうだと思われているのかな」と、自分が母親として欠けている感覚がありました。そのぶん、子どもたちに自分たちだけで過ごすようにがんばって欲しいという思いを押し付けてしまった気がします。でも、今は「どんな状況でも子どもたちがどうするかは、自分たちで決めていくのだろう。」と思っています。

●そう思えるのは、子どもたちと私の関係が、表を一緒に作るという具体的な関わりで見えやすくなって、そのような「枠」を作っていく過程で伝えたいことに自分が関わっている安心感があるからだと思います。そして、そんな関係を大切にしながら、子どもたちに寄り添っていきたいと考えています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

子どもに聞いて「やらない」という返事が返ってくるのがはっきりしているとき

『長男は小3なんですが、脳性マヒで生まれて、車イスで生活しているため、地元の小学校ではなく、ちょっと離れたところの学校へ通っているんです。今度、妹が小学校に入るにあたって、「地元の小学校にするか、兄と同じ学校がいいか」と本人に選ばせたところ、最初は兄と同じ学校がいいと言っていたので、すべて手続きを終えたところ、幼稚園の卒業式が終わったあたりから、みんなと別れるのが悲しくなったようで、「みんなと同じ学校がいい」と言うようになったんです。兄と同じ学校にいけば、兄のことで起こる問題も引き受けるようになりますから、私は妹だけを兄の問題の外に置きたくないんです。本人の希望を無視することもよくないと思うし、どうしたらいいのでしょう?』

こう聞かれたセルフラーニング研究所所長の平井雷太さんは次のように答えました。

*********************************************************************

●『おそらく、ここで起きてしまった問題は、本来はお母さんが決めるべきところをその判断を子どもに任せたところにあると思うのです。どっちの学校に行きたいかを子どもに聞けば、兄と同じ方に行きたいというに違いないと思っていた。そうすれば、お母さんが行かせたのではなく、本人が自分で選んだからになる。だから、娘さんがやっぱり地元の学校がいいと言ったとき、お母さんに動揺が起きた。子どもに聞く前から、お母さんの中にどうさせたいかがはっきりしているなら、子供に選ばせることはしないと思うんです。一見、聞いているように見えても、聞いているふりをしているだけで、本当はそうではないのです。』

●さらに『これは、らくだのプリントについても言えることです。絶対にやらせたいと思っているのだったら、「やるの?やらないの?」という問いは絶対に出してはダメなのです。「お母さんはやって欲しいけど、自分の問題だから、とりあえず、一週間やってみて、どうするか決めたら」。と提案するとか、言う時期を見計らうとか、聞いて「やらない」という返事が返ってくるのがはっきりしているとき、それを聞いたことで不満が残るなら、聞かない方がいいと思うのです』。

*************************************************************************

☆私の教室に来ている子のお母さんが、同じようなことをするのに気がつくときがあります。例えば、今まで順調に学習が進んできていたのに、ある日突然壁にぶつかり、自分で選んだ宿題であるにもかかわらず毎日プリントをすることができなくなったとき、そんな子供の姿を見て「そんなにプリントやるのが嫌なら、やめちゃえば!」と言ったところ、その子は、本当に辞めてしまいました。お母さんがあせってもあとの祭りでした。

☆その子にとって、壁を乗り越える一番大切な時期に、学んでいく事をやめてしまう後押しをしているということになります。本当はそうしてもらいたくないことを脅しのつもりで使って、逆手にとられているだけではないでしょうか?

私は、本当にやめてほしいときでさえ「やめたら」と言うタイミングはとても難しいと思っています。子どもが、やめたくないと思っているのに、その一言で可能性の芽を摘むこともあると思うのです。

☆教室で、子どもたちと向き合っていると、「その子にとって今必要なことをどう伝えるか?」ということを、いつも考えていなければなりません。親としても、「自分の子どもにどんな力をつけたいのか?何を伝えたいのか?」をいつも問われているような気がしています。

生徒と先生、親と子という関係を少しはなれて、自分の気持ちが相手に伝わるということがどういうことなのかを考え続けたいと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

«僕は遊んだあとに宿題をしたいのに!!